November 9, 2015

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ただでは済まなかったペルー旅行(7日目)

ただでは済まなかったペルー旅行(7日目)

2015年9月中旬、夫婦(二十代後半)にてペルーを訪問。南米というと地理的にも移動手段的にも日本人にはとっつきにくく、事前情報も限られている地域である。地球の歩き方やインターネット上の情報を頼りに計画を立て旅行を実行したが、困難に直面した場面が多々あり、これからペルー旅行を計画する旅行者のための情報提供として旅行記を記したい。

旅程は1日目参照。

ナスカのツアー

ナスカに来た理由はただ一つ、ナスカの地上絵である。最もベーシックな地上絵の見方といえば、セスナで一気に飛んで空中から見る方法である。ただこのセスナ、小さくてほとんど見えないとかセスナ酔いでそれどころじゃなかったとか、ネガティブな情報があり、旅程もしんどいしなんかとにかく大変そうだったので、地上から見るというイージーかつ確実(チキン)な手段を採用。

ツアーは泊まった宿Anccalla Innで予約した。ナチュラルミラドール(丘)、ナスカの地上絵が見れるミラドール(鉄塔)、マリア・ライヘ博物館、パルパの地上絵が見れるミラドール(鉄塔)を3時間で回るツアーで車1台・ガイドが貸切のため料金は人数によって異なる。1人の場合は135ソル、2人の場合は一人70ソル、3人の場合は一人50ソル、4人の場合は一人40ソルだった。特に地球の歩き方によればパルパの地上絵が見れるツアーはないとのことであったので、ナスカの地上絵と一緒に見れることになってラッキーだった。時間は朝9時からにしてもらった。

Nasca Poster

カタコト日本語のおじさんと出発

当日は時間通りに宿まで迎えに来た。この国は意外に時間に正確。飛行機とかすぐ欠航する割にはね。そしてこのガイド兼ドライバーのおじさん、カタコトの日本語OK。日本人ってことで多少なりとも日本語できる人選んでくれたのね。ありがたいのやらなんのやら。そしてこのおじさん、サルサの先生もやってるらしい。情熱の国。どっちが本業なのかしらないが、なにかと生活が大変そうだ。全然観光客もいないし。さて、一行は15分ぐらいでナチュラルミラドールに到着。

Natural Mirador

この丘。頂上まで徒歩1分弱。

Nasca Line

これが丘の上からの景色。丘からはナスカの地上絵は見ることはできない。が、実はナスカの砂漠に描かれているのは絵だけではない。むしろ、こういった線が無数に描かれていて、これはナスカラインと呼ばれるらしい。

次に向かったのがナスカの主役、地上絵。

Mirador

これがミラドール(鉄塔)。だいぶ古いけど大丈夫なのか…定員10人って書いてあるが10人以上乗ってる気がするし。鉄塔の下にはおみやげ屋があった。ミラドールに登るのに一人2ソル取られた。

Tree

はい、これが木。(上下逆さま)

Hand

これが手。ガイド曰く、この地上絵の手が両手合わせて指が9本しか無いのは、ナスカの人々は実は宇宙人だったからだ、と。ちなみにマリア・ライヘ女史も指が9本しか無かったそうだ。

ミラドールから見れる地上絵はこの2つ。有名はハチドリとかは見れないが、それでも地上絵をこれだけ近くから見れるのはそれなりに貴重なのではないだろうか。絵は思ったよりも小さく、線も細かった。線の太さは15cm程しかない。これではセスナから見つけにくいのも無理もなさそうだ。

Maria Reiche Museum

マリア・ライヘ博物館。入場料は一人5ソル。マリア・ライヘの仕事場や資料、出土された土器や骸骨が展示されていた。これは本人が乗ってたフォルクスワーゲンのミニバス。さすがドイツ人。

Mirador

最後はパルパの地上絵。これがパルパの地上絵を観測できるミラドール。ナスカのミラドールと打って変わって人がいない。人がいなくても2ソルは取られる。

Palpa Line
Palpa Line
Palpa Line

で、その絵がこれ。シャーマンらしい。ほんとにこれ昔の人が描いたのか謎だけど、とりあえずなんかすごい。

かくしてナスカツアーは終了。

ナスカを去る

昨日来たばっかりだがこれにてナスカは終了。来た道を戻り途中の町イカで一泊する。イカまでのバスは予約していないのでまずチケットを確保しなければならない。クルス・デル・スールのバスターミナルの隣にもっとローカルなバス会社のターミナルがあったのでそこでチケットを購入。イカまで一人12ソルだったので、クルス・デル・スールよりだいぶ安い。意外とちゃんとしたバスでクルス・デル・スールよりはショボいがまあ価格が価格なのでいいんじゃないだろうか。ただし、途中、そこらじゅうで停まって客を乗せたり下ろしたりしていく。

この旅最大のピンチ、立ち往生

ナスカからイカまでは3時間半ほどだが、1時間ぐらい走ったところでパンアメリカンハイウェイの途中で渋滞に巻き込まれた。いや、これは渋滞じゃない。完全に止まってしまっているのだ。何が起きたのか。バスの乗務員が降りて前方を確認しに行った。帰ってきてもスペイン語なのでさっぱり何を言っているのかわからない。「自分で行ってみてくるといい」という雰囲気のジェスチャーをしていたので、見に行くと、十数台先がこの状態なのだ。

Accident on Pan-American Highway

どうしてこうなった。手前のトゥクトゥクみたいなやつもなんか大変なことになってるし、どうしてこうなった。トレイラーはきれーいに横転。見事に端から端まで道を塞いでいる。ここはアラスカのてっぺんからチリのとっさきまでの2万キロを結ぶ世界最長の道路パンアメリカンハイウェイのど真ん中。迂回路などない。そもそも車が詰まってるので戻ることもできない。

Accident on Pan-American Highway

しばらくその場で待ってみるが、どうにかなりそうな気配はなし。一応警察が来ていて、小型のショベルカーも1台あるがなにかし始めようとしている感じでもない。バスの乗客は我々以外は全員現地人で、次々とバスを降りてどこかへ行ってしまった。残ったのは日本人のアラサー男女1組(自分たち)と現地人のおじいちゃんおばあちゃん数人である。乗務員もいろいろなところへ電話したり、なにか言ったりしていたがスペイン語さっぱりわからず。なんかマニアーナ、マニアーナとか言ってるし、復旧は明日になるってことか。

さて、このまま復旧するまで待つか、なにか他の方法を取るか考えなければならない。次の町パルパへは5、6キロ。バックパックを背負っていかなければならないが、歩けない距離ではない。問題はパルパまで辿り着いたとして、目的地イカへの足があるかどうか。事故の影響でパルパも混乱していてコレクティーボやタクシーを探すどころではないかもしれない。一応、バスの乗務員に身振り手振りでパルパまで歩いていけるか聞いてみたが、ダーティハリーっぽいダンディズム溢れるおっさんにソルがどうのこうの言われて止められた。日光で暑くてダメだからやめろ、と言ってたんだと思う。たぶん。

こうなったらもうここで待つしかない。バスを離れるより、ここの乗務員と一緒にいた方がなにかと安全だろう。

イカへ!

Accident on Pan-American Highway

バスの中にいるのも暇なので、外でウロウロしてみたり、すぐ近くにあったショボい商店で水を買った見返りに店先の椅子に座ってくつろいだりしていると、バスの運転手(通称蛭子さん)が戻れと言っている。(相変わらずスペイン語はわからないので、たぶんそんな雰囲気)ついに時は満ちたのである。

Accident on Pan-American Highway

トラックが積んでいた荷物がどこに行ったのかは謎だが、トレーラー部分が切り離され、道が空いた!事故から実に3時間半が経過していた。それでも3時間半で道復旧したのはある意味不幸中の幸いであった。現在16時。これなら日が沈む頃にはイカに到着できる。

イカのバスターミナルに到着したのは19時。そこからタクシーに乗り換えワカチナ(Huacachina)に向かう。バスから降りると早々にタクシーの客引きがやってきたのであっさりこれに捕まりワカチナへ。料金は10ソル。10分ほどでワカチナに到着した。

Hosteria Suiza
Huacachina Restaurant
Huacachina Restaurant
Huacachina Restaurant
Huacachina Restaurant

安堵感からかアルコールの進む良い夜であった。ワカチナの詳細は8日目参照。

ナスカ周辺地図

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